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2011年10月05日

西浜良修さんに会えた!


南大東島と言えば西浜良修(にしはま・よしのぶ)さん。

南大東村誌の編集委員を務められ大著(写真)ができました。
また、那覇空港でもお馴染み、喜作の「大東寿司」の揮毫をした先生です。これでお分かりのみなさんも多いはず。

昨夜、喜作でご子息の西浜武史さん(おきぎん保証株式会社代表取締役)とご同席。今回の訪沖目的の一つ、南大東関係資料の確認をご説明すると、快く取り次いでいただけました。

八丈島大賀郷からの南大東に移民した西浜家で大正8年に生まれ、激動の南大東の近代史を肌で経験して来られた方で、戦前は大日本製糖が南大東で運営した国民学校(企業立錬成学校)の教員をしていました。
西浜先生が現役のころは、亀池に住んでおられ、子供さんの代はケンちゃんストアの向かいにお住まいだったそうです。今は駐車場になってなかったか???

奥さんも小笠原に由来する八丈系菊池一族。もうね、今の大東はチャンポンだからね。と八丈系らしい誇りを持っています。

今回の聞き取りで解ったことが2点ありました。

・南大東村誌に記された、ボロジノ号発見の経緯は、国内の資料に拠っていたそうで、小瀬佳太郎の資料が最も古いようです。
やっぱりそうだったか、なら安心。

・玉置半右衛門の八丈の屋敷は、大賀郷の宇喜多秀家のお墓のある墓地の近くにあり、玉置家没落後、西浜さんのいとこの故菊池正明さん(町会議長、キクマサタクシー社長、ガソリンスタンド経営)が買い取ったようです。
場所が解りました。

今度は、西浜先生が経験した戦前の南大東のくらしについてお話しを伺ってみたいと思いました。

西浜社長さん、すばらしい機会を与えて頂きありがとうございました!


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