› くらしの悩み、なんくるないさ! › 2010年09月
2010年09月30日
NHがロンドン経由で足を維持か?
ANAとTAM航空がコードシェアを開始~二社間初のコードシェアにより、日本とブラジルが繋がります~(2010年9月21日ANA・TAM航空共同リリース)
との触れ込みで,全日空がロンドン経由で表向きサンパウロに路線を延ばすことになりました。
成田(NRT)→全日空(NH)→ロンドン(LHR)→TAM(JJ)→サンパウロ(GUR)
との触れ込みで,全日空がロンドン経由で表向きサンパウロに路線を延ばすことになりました。
成田(NRT)→全日空(NH)→ロンドン(LHR)→TAM(JJ)→サンパウロ(GUR)
2010年09月29日
セントレア帰着
セントレアに国内線で帰着しました。
予定は,国際線接続便でしたが,1便早い便に変更しました。
29SEP
1555NRT(1557出発済み)
↓JL3085
1715NGO(1710到着済み)
2010年09月29日
取材を受ける乗客
サンパウロから成田に到着した乗客を取材するマスコミ
9月29日成田空港到着ロビーにて
関係記事のばっすい ↓
ブラジル直行便、最後のフライト=32年の歴史に幕-日航
【サンパウロ時事】会社更生手続き中の日本航空の最長路線である成田-ブラジル・サンパウロ線(ニューヨーク経由)の最後のフライトが27日、サンパウロを出発し、1978年の就航以来32年の歴史に幕を下ろした。同線は日本とブラジルを結ぶ唯一の直行便で、ブラジル日系団体は約1万2000人分の署名を集め、存続を強く求めていた。
サンパウロ近郊の国際空港にある日航カウンターには同日夜、「ご愛顧ありがとう」の横断幕が掲げられた。福井県に行くという介護士の日系3世、伊藤ヨウコさん(65)は「便利で何回も乗ったので、なくなるのは寂しい」と惜しんだ。同社によれば、最終便の搭乗率は約90%。
日本航空・サンパウロ発最終便TAKE OFF
2010年9月28日13時06分 読売新聞
【サンパウロ=浜砂雅一】会社更生手続き中の日本航空がブラジル・サンパウロ―成田線(ニューヨーク経由)から撤退することになり、サンパウロのグアルーリョス空港発の最終便が27日夜(日本時間28日午前)、日本に向けて飛び立った。
同路線は1978年に定期便が就航。日本の航空会社が運航する路線としては最長距離だった。約150万人といわれる日系ブラジル人にとっては、日本との絆(きずな)の象徴でもあり、日本への里帰りに利用されてきた。(以下略)
日本航空:ブラジル便32年で幕 祖国直結最後の翼 日系人「懸け橋なくなり寂しい」
毎日新聞 2010年9月30日 東京朝刊
会社更生手続き中の日本航空が経営再建のため国際線ネットワークを大幅に縮小する中、ブラジル・サンパウロ-成田線も29日、最終便(ボーイング747-400型)が成田国際空港に到着した。32年間にわたって運航し続けた日航の路線廃止で、日本と南米を結ぶ航空路はなくなった。
ブラジルでは日本からの移民や子孫ら日系人150万人が暮らしている。サンパウロ線は日航の最長路線で、成田空港が開港した1978年に就航。日系人にとっては祖国と直結する翼だった。路線が廃止されると、日本で就労する日系ブラジル人の往来も不便になる。かつて日本への直行便を運航していたバリグ・ブラジル航空は既に経営破綻(はたん)し撤退。格安航空会社(LCC)の新規就航予定もないため、今後は乗り継ぎが必要になる。
栃木県出身でブラジルに移住した僧侶、桑嶋(くわじま)弘道さん(67)は、これまで年1回のペースで里帰りし、求めに応じて関東各地で法要を務めてきた。「直行便がなくなると、乗り継ぎのたびに重い荷物を運ぶのは体力的に無理」といい、7月に一時帰国した際は檀家(だんか)の人々に「私が来るのは今回が最後。今生のお別れになると思います。どうかお元気で」とあいさつした。
27日夜(日本時間28日午前)にサンパウロを飛び立った最終便は、ニューヨーク経由で約25時間かけて成田に到着。261人の乗客らは機体をバックに記念撮影し、別れを惜しんだ。
日航サンパウロ線「ラストフライト」が出発
2010/9/28 11:46 日経
【サンパウロ=檀上誠】会社更生手続き中の日本航空が事実上廃止する成田―サンパウロ線の最後の復路便が現地時間27日夜(日本時間28日午前)、サンパウロ国際空港を出発した。最終便出発を前に搭乗受付カウンター周辺では、これまで市内の支店に飾っていたB747―400型機の模型を展示、搭乗客らが別れを惜しんだ。
同社が路線廃止でお別れイベントを企画するのは異例だが、海外最大規模の150万人の日系移民らの感情に配慮した。
同線は同社の最長路線。ビジネス客の往来が盛んだった2008年ごろには増便も検討されたが、金融危機による出張需要減少に加え、経営再建のため同路線で使用しているB747型機の全廃が決定、この日を最後に運航を打ち切る。
ブラジルでは日系移民を中心に廃止を惜しむ声が多い。同社から模型を寄贈された日系人団体、ブラジル日本文化福祉協会では「移民史料館に展示する。この飛行機で出稼ぎに行った人も多く、皆、懐かしく思い出すだろう。一日も早く戻ってきてほしい」(木多喜八郎会長)と話した。
日航ブラジル路線が廃止 日本の翼、さようなら
2010/09/28 12:10 【共同通信】
【サンパウロ共同】会社更生手続き中の日本航空のブラジル・サンパウロ―成田線が27日廃止され、サンパウロ発の最終便が強い雨が降る夜空の下、グアルリョス国際空港を出発した。1978年に定期便が就航した同路線は日本の航空会社では最長距離。海外最大の日系人社会を擁するブラジルと祖国を結ぶ空の「懸け橋」だけに乗客らは「心のきずなが断たれたようだ」と別れを惜しんだ。
これに先立ち、同日夜、空港の搭乗口前でお別れ式が行われ、乗客約250人を前に日航側が「再建を果たして再びサンパウロに戻ってきます」とあいさつ。約50人以上の職員らが機体脇の地上に下りて「ありがとうございました」との横断幕を広げ、涙をぬぐいながら手を振った。
2010年09月29日
2010年09月29日
樺太上空で最後の機内食
樺太上空です。
稚内へ南進するルートになりました。
ハバロフスクの管制を受けていますが、間もなく日本に管制が移ります。
最後の機内食が出ました。
パスタです。
腹減ったので完食見込みです。
あっという間に宗谷海峡を渡り、稚内。
下を見ていると、猿払、そうそう小石に曲淵。
宗谷本線を見ていると、羽幌に留萌。
食べ終えたら、新千歳空港からTOBBY、LARCH、三沢の東からPANSY、花巻の上空から成田へ向かいます。
2010年09月29日
2010年09月29日
2010年09月29日
2010年09月29日
2010年09月29日
機長もラストフライト
ニューヨークJFKから成田までの機長は、ご自身も最後のお仕事でした。
今次の航路は、アラスカからさらに北を通り、日付変更線を越え、ロシアに一旦入り、稚内から日本に入っていくルートを採る予定との説明がありました。
本当に南から北極近くまで大旅行になりました。
機長のご挨拶の大要は、以下のとおり。
サンパウロ線の最終便、ニューヨークからスーパージャンボの最終便になりました。
2008年10月には、ブラジル移民100周年、JALサンパウロ線就航30周年を記念し、日伯交流記念運航がなされました。
その2年後にサンパウロ線が廃止されることは、痛恨の極みです。
ただ、JAL再建計画の中、安全運航と確実なサービスの提供のため、一旦廃止されることはやむを得ないことです。
私事になりますが、わたくし自身、JAL34年間の勤務の最後のフライトとなります。
DC−8にはじまり、747、そしてDC−10に、このスーパージャンボと言われる747−400を運航してまいりました。
皆さまのご支援に支えられ、このフライトがラストフライトとなります。ありがとうございました。
さらに機長さんは、英語でも丁寧にご挨拶されました。
乗客も拍手で応えました。
ジャンボの2階席の広々とした空間に注ぐ朝の光で機長の心のこもった挨拶を聞き、つい、20年以上前の国鉄最後の日を思い出してしまいました。
社会が認める高度な技術を持ったプロが、時代や状況の流れに巻き込まれ去っていく、なんとも言えない寂しさ。この雰囲気はなんとも言えないとしか言いようがないですね。
2010年09月29日
これで最後か…最終便搭乗前@J FK
下で整備士のみんなが記念写真撮ってるよ、と佇む琉球大学国際沖縄研究所町田宗博教授。
いよいよ、搭乗時刻が近づき搭乗ゲートには、747ー400最終便を示す案内が掲出されました。
簡単なご挨拶のあと、米州支社長以下、ニューヨーク支店のみなさんが立たれて乗客への案内が始まりました。
飛行機が扉を閉めたのですが、なかなか動き出しません。私を含め、乗客のみんなが???と思いはじめたとき、びっくり企画が用意されていました。この写真が撮れなくて残念でしたが、誘導路の両脇にアメリカの巨大な空港用の草色消防車が放水を始めました!
飛行機は、ゆっくりとお別れの放水の中をくぐり抜け、滑走路に向かって行きました。
2010年09月29日
2010年09月28日
2010年09月28日
ニューヨークで休憩中
ただいま整備中。
間もなく再搭乗します。
便名:JL015 クラス:エコノミー 座席:79A
9月27日 22:55 サンパウロ 出発
9月28日 07:25 ニューヨーク 到着
(給油休憩)
9月28日 09:55 ニューヨーク 出発
9月29日 13:05 成田(東京) 到着
2010年09月28日
2010年09月28日
バミューダ沖で朝食
きれいな夜明けでした。
バミューダ沖で朝食、海もきれいです。
ニューヨークが近づくと北極が地図に出てきました。
南半球はるか南から赤道を越え、アフリカが地図に映り、今度はグリーンランドや北極。
とても贅沢な経験をさせてもらいました。
ニューヨーク・ジョン・F・ケネディ空港着陸前に自由の女神を観たいです。
2010年09月28日
赤道通過スリナム上空
赤道を通過し、ブラジルを抜け、スリナム上空です。
アフリカも地図に現れて来ました。なんかよう分からんけど、えらいとこに来てしもたなぁ、というのが正直な感想です。
JALさん定期便飛ばしてほんまにえらい!
このあと、ガイアナ、トリニダードトバゴ、グレナダ、セントビンセントグレナディーン諸島、セントルシア、ドミニカ、アンティグア・バーブーダを通過します。
これで地球儀を覚えよう!
2010年09月28日
機内食その1
機内食その1は、ブラジリア上空で出ました。
チキンとビーフで、今回はチキンを選びました。
今回の座席は79A、ご一緒した方は、79Bは空席、79Cはカンポ・グランディ(Campo Grande)からさらに奥に行った、パラナ州とパラグアイの国境近くに移民した防府ご出身の一世の方でした。
真ん中が空いて、にわかファーストクラスでよかったですね、と喜び合いました。
昔の客車よりマシです。門司港発福知山行きなんか食事出ませんでしたよ。
満州生まれで、父親はシベリア抑留(遅れて無事復員)、母親と幼少期に引揚げて来られ、日本でも苦労され、50年前に単身移民されたとか。本当に頑張って来られ、両親の死に目に逢えなかったので、この度墓参りだそうです。
つまり、山口の地元で言う「防行(ぼうこう)」です。
ブラジル国籍を持つ日系人は、アメリカで給油するときの入国の許可がなかなか出ないそうで、しぶしぶJALを避けるようになったんだそうです。
週3便がニューヨーク経由ではなく、うち2便をカナダとかメキシコ経由にしたらよかったんじゃないでしょうか?
この便に米州支社長が乗っているので、質問してみましょう。
カンポ・グランディといえば、沖縄そば!。この機会に尋ねてみました。
「そうです。カンポ・グランディでは、そばといえば、沖縄そばですね。たくさんいらっしゃいますよ」
鉄道建設の名目でたくさんの沖縄移民が来られたとか。
次は、カンポ・グランディでそばを食いまくろう!
※ブラジル行きがなかなか大変です。ドバイ経由がいいかな?
2010年09月28日
祈念の折り鶴
サンパウロ線「運休」を前に、乗客に配布された記念の折り鶴と台紙。鶴の尾翼はちゃんとJALのマークです。かわいい♪
ニューヨークまで担当する機長の最後のご挨拶もきちんと準備されたスピーチでした。以下は概要です。
記念の折り鶴は、祈念の折り鶴であるように思えてなりません。
私事になりますが、わたくしが初めてブラジル線を担当したのは、23年前の1987年です。
当時は、ジャンボが(1984年に)就航して間がなく、サンパウロ空港には、非常に多くの日系のみなさんがJALのジャンボ機を一目見たいと空港に来られました。サンパウロ空港に到着しても、客室乗務員を含め、空港からなかなか出られない位で、当時の感激が忘れられません。
本日をもって、ブラジル線は運休となります。また、再びブラジルの空を日本航空の翼が飛ぶことのできる日が来ることを願っています。
同時に忘れてはならないことなのですが、ブラジル人客室乗務員も本日をもって最後の乗務となります。
2010年09月28日
JALサンパウロお別れの様子
サンパウロ国際空港・日本航空(JAL)最後の日・幹部挨拶
よく見ると、私の姿も写ってました。
日本航空(JAL)ブラジル最後の日・見送り〜そして最終便は去る
サンパウロ空港お別れセレモニー
お別れセレモニー始まる
報道詰めかける12番ゲート
2010年09月28日
2010年09月28日
2010年09月28日
サンパウロ搭乗
サンパウロから搭乗します。
ニューヨークまで閉局します。
便名:JL015 クラス:エコノミー 座席:79A
9月27日 22:55 サンパウロ 出発
9月28日 07:25 ニューヨーク 到着
(給油休憩)
9月28日 09:55 ニューヨーク 出発
9月29日 13:05 成田(東京) 到着
2010年09月28日
2010年09月28日
2010年09月28日
2010年09月28日
お別れフライトGRU-JFK-NRT
お別れフライトの時刻が近づくサンパウロ・グアルーリョス国際空港。
ご予約内容
便名:JL015 クラス:エコノミー 座席:79A
9月27日 22:55 サンパウロ 出発
9月28日 07:25 ニューヨーク 到着
(給油休憩)
9月28日 09:55 ニューヨーク 出発
9月29日 13:05 成田(東京) 到着
便名:JL053 クラス:普通席
9月29日 18:25 成田(東京) 出発
9月29日 19:45 中部(名古屋) 到着
2010年09月28日
2010年09月28日
大荒れのサンパウロ
クリチバを15分遅れで離陸しましたが、サンパウロに近づくにつれ荒天となりました。濃霧に落雷、上空で度重なる旋回を経て、やっと着陸しました。
となりのお母さんなんか、よほど怖かったらしく、息をはぁはぁ言わせて、私の手まで握ってきました。
2010年09月28日
クリチバCWB 〜サンパウロGRU
世界一のレベルを目指すバスの街クリチバをあとにします。
乗客にも高いレベルを求めることになり、落ちこぼれる外国人やビジターは、乗客の親切心がフォローするという、まことにブラジルらしいシステムの維持の仕方だと感じました。
これから、サンパウロに戻ります。
18:40CWBクリチバ
↓JJ3336
19:45GRUサンパウロ