てぃーだブログ › くらしの悩み、なんくるないさ! › 2010年末那覇巡回展 › 訂正・重村俊一さんの公用旅券のお話し

2010年12月27日

訂正・重村俊一さんの公用旅券のお話し


一昨日の沖縄タイムス朝刊(末尾参考記事)と南海日日新聞朝刊に大きく取り上げられた
重村俊一さんのパスポートのお話しを少し詳しくいたしましょう。
※上記の写真は,南海日日新聞に提供した画像


こっちがタイムスに提供した画像
この旅券との出会いは,今年の1月5日,那覇市歴史博物館を訪問したことがきっかけでした。

2010年01月05日那覇市歴史博物館
那覇市歴史博物館では,多種多様な復帰前のパスポートが保管されていた
のですが,整理まで手が回らない状況でした。

2010年01月05日日本から琉球へのパスポート
2010年01月05日琉球パスポート
早速,博物館の了解を得て,データの整理をしたのですが,部屋の中は暖かくて,眠くて目が回りそうでした。
2010年01月06日軍政下の渡航文書
2010年01月13日米国軍政府時代の「パスポート」
その中に,「駐日琉球貿易代表団」という公用旅券が紛れ込んでいたのです。
2010年01月14日民政府初期のパスポート


重村さんの旅券の査証欄を開けてみると,
1951年12月20日名瀬を黒潮丸で出航,22日に神戸港に入港,上陸しています。
黒潮丸は,関西汽船の阪神・沖縄航路で,後に返還直後の小笠原航路にも就航していたことは,小笠原通ならよく知られた話です。
→上記部分,末尾にて訂正
上陸の際の資格は,「S.P.R」すなわち半永住でした。
重村さんは,公務を終え,1952年9月28日羽田を発ち,翌29日NWA863便で
那覇に戻っています。
NWAということは,ノースウェスト・オリエント航空の沖縄経由東南アジア方面行きということになるんでしょうね

参考記事;
琉球政府時代の公用旅券を発見 奄美地方庁の故重村氏使用 那覇で 現存は貴重
2010年12月24日 09時29分

米軍占領下の奄美大島で、琉球政府奄美地方庁の幹部職員だった故重村俊一氏の公用パスポートがこのほど、那覇市歴史博物館で見つかった。重村氏は奄美群島が1953年12月に日本復帰したことに伴い「非琉球人」になったとして公職を追われた一人。公用パスポートが現存しているケースは珍しく、県立博物館・美術館で開催中の移動展「知られざる日本の国境」(主催・北海道大学グローバルCOEプログラム「境界研究の拠点形成」)でも紹介されている。25日、奄美は復帰から57年を迎える。(新垣綾子)

 パスポートは米国民政府が51年発給した「旅行証明書」。重村氏は沖永良部島の和泊町出身で当時、奄美地方庁の前身の奄美群島政府で経済部長を務めていたとみられ、「駐日琉球貿易代表団」の肩書が記されているほか、頭髪や目の色の記入欄もある。

 長男で早稲田大教授の智計(としみつ)さん(65)らによると、戦前に満州の電力会社「満州電業」に勤務し、終戦後に奄美大島に引き揚げ、群島政府の前身の臨時北部南西諸島政庁で財政部長などを務めた。

 中国語など語学が堪能で、代表団として本土に渡った際には奄美からの輸出品の価格交渉で手腕を発揮。智計さんは「詳しくは聞いていないが、インフレ対策が大変だった、とよく口にしていた」と振り返る。復帰後は公職を失ったものの財務能力を買われ、琉球銀行東京事務所長へ転身。6年前、89歳で亡くなった。

 パスポートは日本島嶼(とうしょ)学会の山上博信理事が1月、沖縄の復帰前のパスポートを調査中に那覇市歴史博物館の収蔵庫で発見。「個人の私用旅券と異なり、公用旅券は出張が終わると米国民政府に返納したため、現存は珍しい。国境が揺れ動いた時代の生き証人だ」と意義を語る。

 移動展では、北海道根室市と北方領土の国後島を戦前結んでいた海底ケーブルの一部、日露戦争後に設けられた樺太日露国境標石のレプリカなども展示されている。戦後、沖縄に引き揚げ、親族や知人と生き別れた人たちの相談も受け付ける。26日まで。入場無料。

米国民政府が発給した重村氏の旅行証明書

訂正
日本島嶼学会理事の奥野一生さんから専門的見地に立って,以下のご指摘をいただきました。
さっそく,訂正いたします。

>  前略
>  「くらしの悩み なんくるないさ」を拝見いたしております。
>  「黒潮丸」の記事を拝見いたしました。
>  関西汽船の「黒潮丸」は、1948年7月24日、三井造船玉野造船所で竣工、1493総トン、当初は阪神~高知航路に就航、1951年11月に関西汽船初の沖縄航路船として阪神~奄美~沖縄航路に就航、1966年沖之島丸と交代して引退、1970年2月解体。
>  東海汽船の「黒潮丸」は、1947年6月30日、播磨造船所で竣工、496総トン、当初は東京~八丈島航路に就航、1968年6月、小笠原本土復帰に伴い、東京都の委託運搬船として東京~父島に就航、1974年12月解体。
>  黒潮丸は同時期に2隻存在、別船です。
>  ちなみに、関西汽船の「浮島丸」は、1960年3月25日、佐野安船渠で竣工、2611総トン、「黒潮丸」とともに阪神~沖縄航路に就航、1973年小笠原海運に売却、「父島丸」と改名、東京~父島に就航、1979年引退、台湾に売却された。
>  資料出典は、海人社『世界の艦船 別冊 日本の客船 2 1946~1993』です。
>  以上、僭越で申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。




同じカテゴリー(2010年末那覇巡回展)の記事
よいクリスマスを!
よいクリスマスを!(2010-12-24 19:04)

本日の国境展
本日の国境展(2010-12-24 15:34)


※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。