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2009年09月22日

1932年頃の小笠原航路

国立公文書館アジア歴史資料センターの資料から,小笠原研究者,鉄ヲタ,国鉄バスマニア,郵政事業研究者にとっては大変意義の深い資料を見つけました。

件名標題(日本語) 各種調査会委員会文書・交通審議会書類・二参考書類
階層 国立公文書館>内閣>各種調査会・委員会文書>各種調査会・委員会文書(前半)>各種調査会委員会文書・交通審議会書類・二参考書類
レファレンスコード A05021137700
記述単位の年代域 昭和8年9月
規模 305
組織歴/履歴 内閣||交通審議会||内閣

305ページの大きなものですが,一日見ていてもあきません。

さて,小笠原関係の重要な資料をかんたんにご紹介します。

昭和8年度「国庫補助地方庁命令航路調」(148/305丁以下)
これの154/305丁以下に,小笠原関係航路が列挙されています。

東京府小笠原島線 これは,順当に小笠原の歴史によく出てくる 芝罘(ちーふー)丸(1829トン,近海郵船) 横浜始発(不定期に東京まで延長)

※近海郵船は戦後,東海汽船と共同で出資して小笠原海運を設立。

興味深いのは,小笠原諸島内の命令航路です。

東京府小笠原島各離島線
 父島聟島線 昭運丸(10トン,浅沼丈之助) 父島二見港~嫁島~聟島南浜
 父島弟島船 以知丸(3トン,浅沼丈之助) 父島二見港~弟島黒浜
  ※兄島は行かなかったのか?便宜寄港したのか?
 父島,母島,硫黄島線(36トン,臼井靖児) 父島二見港,母島北港,同沖港,北硫黄島,母島沖港または硫黄島
  ※臼井靖児さんどなたかごぞんじですか?
 母島姪島線正衛丸(4トン,前田衛)母島沖港~姉島北浜~妹島北浜~姪島西港
  ※前田商店の前田さんですよね?

その次が,播淡連絡汽船,阿淡連絡汽船,佐渡汽船と,国鉄連絡航路でなじみの深い航路と船名が続きます。

続いて,逓信省管船局所管の「昭和7年度地方費補助航路施設調」(158/305丁)になります。
163/305丁に,芝罘丸 東京~横浜~八丈島~小笠原島父島~母島沖港

187/305丁に,「本邦沿岸定期航路調」(逓信省管船局とりまとめと思われる)とあり,
193/305丁に,東京逓信局管内関係で,
横浜小笠原線として,芝罘丸が出てきます。
航路は,往復東京延長,横浜母島沖港間年10回往復,八丈島,小笠原,父島,復航年6回,
母島北港に寄港,横浜硫黄島間年6回,八丈島,小笠原父島,父島,母島北港,北硫黄島寄港,
但し母島北港は,復航4回北硫黄島毎往航,鳥島及び青ヶ島往復4回,南硫黄島年1回寄港
とあります。
 ※JTBの復刻版の戦前の時刻表には,南硫黄島まで,各港間の運賃設定があったと記憶しています。








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